(三) 光速度不変の原理に根拠は無い
アインシュタインは光速度は絶対で、いかなるものも光速を超えられないとしました。
これは本当に正しいのでしょうか。
それを調べるために、宇宙空間に A、B、C という三つの地点を設定しましょう。
A と B の距離は 29万km あり、B と C の距離も 29万km あるとします。
A、B、C の三つの地点は直線状に並んでいます。
A からロケットを秒速 29万km の速さで、B の方向に向けて発射し、同時刻に C からもロケット
を秒速 29万km の速さで、B の方向に向けて発射したとしましょう。
この二つのロケットは一秒後には B 地点で出会います。
普通の感覚で言えば、この二つのロケットの相対速度は 秒速 58万Km のはずです。
ところが、アインシュタインは、二つのロケットの相対速度は 秒速 30万Km を超えないと
しました。 式より、そうなるからです。
でも、その式の結果は、道理に合いません。
相対論では、どちらが動いているかは、相対的なはずです。
A のロケットが停まっていて、B 地点と C ロケットが、A ロケットの所に、やって来たと解釈
してもいいわけです。
そこで、そう解釈したら、どうなるでしょうか。
B 地点は、1秒間に 29万km の距離を移動して、A ロケットのところにやってきます。
つまり秒速 29万km の速さで移動して来たことになるわけです。
これは問題ありません。
次に、C のロケットは
29 + 29 = 58万km
の距離を 1秒間で A ロケットのところまでやってきた事になります。
これが、秒速 58万km でなくて何でしょうか。
1秒で 58万km の差を縮めたら、それは秒速 58万km でしょう。
相対論の理屈は道理を無視しています。
そこで、これからこの問題の原因について解明していく事にします。
が、その前に、もうすこし、基本的なことからあたっていきましょう。
アインシュタインの出した相対性理論の根拠は“光速度不変の原理”にあります。
では、この“光速度不変の原理”は一体どこから生まれたのでしょうか。
それは、マイケルソン・モーレーの実験からです。
マイケルソンとモーレーの二人は、光を伝える媒体としてのエーテルが存在するのかどうかを
調べる為に実験をしました。
宇宙にエーテルが充満しているのなら、地球はエーテルの海の中を泳ぎ回っているようなものです。
もし、そうであるなら、エーテルは地球の動きと反対の方向に流れている事になります。
そこで、彼らは考えました。
エーテルの流れと平行に光を往復させた場合と、直角に往復させた場合とでは、光の走行時間が
違うのではないか、と。
これは、舟を川に渡す場合の理屈から類推されます。
舟を川の対岸に渡す場合、舟は流れに流されますので、あらかじめ
上流に向けて斜めに進まなければなりません。
そうすると、この場合、舟は実際の直線距離よりも長く航行する事に
なります。
もっとも、接岸のために船を川岸に並行に付ける場合は、航行方法が
多少異なりますが、これは、単純化した議論ですから、細かい事は問わないでください。
また、川に平行に進む場合でも、上流に向う場合と下流に向う場合とでは所要時間が違って来ます。
上流に向う場合、舟は流れによって減速されますので、到着時間は遅れますが、帰りは加速されて
短い時間で着いてしまいます。
この様に流れに平行に進む場合でも、上りと下りとでは航行時間が違うのです。
同様の事が光についても言える筈です。
もし、エーテルが実在するのなら、一つの光を、エーテルの流れと直角な方向と平行な方向とに
分けて等距離を往復させた場合、光は同時には戻って来ないと考えられます。
そこで彼らは、図1-3-4 の様な実験装置を考案しました。
この装置に光を通し、エーテルの流れに平行な方向
と直角な方向とに分けて等距離を往復させたなら、
多分、この光は、同時には戻って来ないでしょうから、
そこには、きっと干渉縞が出るだろうと。
エーテルの流れの正確な方向は判(わか)らなくても、
この装置を回転台の上に乗せて回せば、適切な位置に
来た時、干渉縞が出る筈だと。
そう考えて実験したのですが、結局、干渉縞は出ま
せんでした。
この実験結果を見て、アインシュタインは
《 動いている系から見ても、静止している系から見ても
光の速度は同じ 》と勝手に決めつけたのです。
しかし、これは、余りにも早計でした。
この実験で判(わか)った事は、「それまで考えられていた様なタイプの、光の媒体としてのエーテルは
存在しない」という事だけだったのです。
それ以上でもなければ、それ以下でもありません。
光の動きが、その発生源の系の運動に付随していると考えれば、この実験結果は何でもなくなります。
同一慣性系で、しかも静止系内だけでの実験ですから。
地球上だけで観察する限り、東西や南北に光を反射させても無駄でしょう。これは、言わば、列車
の中で進行方向と、その進行方向と直角な方向とに光を反射させて調べてみる様な物だからです。
これでは意味ありません。
本当に調べたければ地球の外から観察しなければなりません。
そうしなければ“列車の外から見ると”とは言えないでしょう。
彼らは地球の外から観察しましたか? やっていないでしょう。
にも関わらず“列車の外から見ると”と、やっているのが相対論なのです。
“光速度不変の原理”に根拠など有りません。誰も実験していないのですから。
これは、アインシュタインの早合点から生まれた物です。
次に“この実験が本当に成功しているのかどうか”という事が問題になります。と言うのは、マイ
ケルソンとモーレーの二人は地球の運動を公転で考えていたからです。
「公転で何が悪い!」と言われそうですが、実は、
公転には問題が有るのです。それは自転とのからみ
からです。
自転で考えれば、エーテルは東から西へ流れる
だけですが、公転ではそうは行きません。
公転の場合エーテルの流れは、朝・昼・夕・夜で
変わって来ます。
夜は東から西へと流れ、昼は西から東へと流れて
いきます。そして、朝方には頭上から降り注ぎ、
夕方には天空へと昇って行きます。
その様に流れが変転して定まらないのです。
回転台を使っているのだから、多少、方向が変わっても対応出来そうな気がしないでもありません
が、事はそう簡単では有りません。
『現代物理の世界‐T 相対性理論と量子力学の誕生』
講談社 151頁によりますと、結論を出した
「最後の実験は1887年の8月の8,9,10,11日及び12日の朝と夕方に行われた」とあります。
ここで問題なのは、朝と夕方です。
公転では、エーテルは朝方には頭上から降り注ぎ、夕方には四方から集まって天空に昇って行きま
す。これでは、回転台をどっちに回しても無駄でしょう。
唯一の可能性は、自転によるエーテルの流れだけです。
「実験の結果は、自転によるエーテルの流れをも否定した事になるのだから、別に問題無いではな
いか。」と言われそうですが、そうも行きません。
地球の動きは自転と公転だけではないからです。
太陽系その物が、動いているのですから、その影響によるエーテルの流れをも加味しなければなり
ません。
太陽系は秒速 20kmで近くの恒星系を動き回っています。そして、その恒星系も秒速 320kmで銀
河系の中を動いています。その次に、その銀河系もまた秒速 160kmで他の銀河系に対して動いている
のです。
(『相対論はいかにしてつくられたか アインシュタインの世界』講談社(BLUE BACKS) 64頁 参照 )
そうすると、エーテルの流れと言っても、本当の所、どっちの方向から流れているのか、かいもく
見当もつかなくなります。複雑多岐な流れとなる筈です。
地球の自転によるエーテルの流れも、他の運動の流れによって相殺(そうさい)されていないとも言い
切れません。
静止しているエーテルの中を地球が泳ぎ回っていると仮定するのなら、宇宙のどこかに絶対的に
静止している点を見つけ出さなければならないのです。そして、そこを基点として、地球の運動の
方向を割り出さなければなりません。
そうしなければ、エーテルの本当の流れはつかめないでしょう。
しかしそれは不可能な事です。
第一それは、絶対静止点を認める事になり、相対性の原則をも否定する事になります。
それは、即、相対論をも否定する事につながるのです
そんな事は相対論信奉者には絶対に認められない事でしょう。
従って、この実験が果たして成功しているのかどうか、何とも言えなくなります。
そういう事ですから、この実験結果から「光速度不変の原理」を即断するなど、もっての外なのです。
「光速度不変の原理」に根拠など有りません。
これはアインシュタインの空想より生まれた物ですから。
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