相対論では、従来当たり前だった事が、当たり前では通らないのです。
では、どうしたらよいのでしょうか。
この場合には、時間の方を変えるのです。
まずは、速度の式を
(1‐2‐1)
として、距離と時間の関係を見てみましょう。
列車内で見た光の走行時間を t
列車外から見た光の走行時間を t′
列車内で見た光の走行距離を AB
列車外から見た光の走行距離を AB′
とすると
列車内での光の速度は (1‐2‐2)
列車外から見た光の速度は (1‐2‐3)
となります。そこで、この二つの式を合わせますと
(1-2-4)
となりますが、図1-2-1 では
AB < AB′ (1-2-5)
ですから、それを (1-2-4) 式に当てはめてみますと
t < t′ (1-2-6)
となります。 この結果は
《同じ光の伝わる現象でも、列車内での方が、外から見るよりも光の伝播時間が短い》
という事を表わしています。
それは、列車の中の方が外よりも時計の進み方が少ない、という事で
《動いている列車の中では、外に比べて時間が遅れる》という事になるわけです。
これが、相対論で良く言われる所の
「動いている系では静止系よりも時間が遅れる」
という理論のやさしい説明の一つです。ここまでは定説通りです。
(注 : これは私独自の考えではなく、『現代物理の世界‐T 相対性理論と量子力学の誕生』
講談社の中にある第七章「時計のパラドックス」のやり方を真似たものです。)
さて次からが問題です。
図1‐2‐3を見て下さい。
円が二つ描いてあり、右側の円には矢印が描いてあります。
まず、左側の円ですが、これは、列車内の一点0を発した光が、一定
の時間に到達する位置(列車内から見た)です。
そして、右側の円は、その位置を列車の外から見た場合の位置です。
列車は動いていますので、円は右側に移動します。
従って、左側の円の中心0を発した光は、右側の円に到達する事になります。
列車の中では、光は一定の時間に一定の距離を進むのですが、これを外から見ていると、その距離
は、進む方向によってマチマチになります。 これに相対論の理屈を当てはめ、無理に解釈しようと
すれば、時間の遅れ進み具合はみな異なって来ます。
前のやり方では、外から見た所の光の距離の長い方が、列車内の時間が遅れていましたので、それを
応用しますと、円の半径より矢印の長い方 (基本的に前方に発射) が時間が遅れ、短い方 (基本的に後方
に発射) が時間が進む事になります。
ただ二箇所od方向とod′方向のみ時間は遅れも進みもしませんが。
その他の方向では、矢印の長さが皆違いますので、時間の遅れ進み具合は全部異なって来ます。
同じ光源から発した光なのに、どの方向に向かう光を基準に採るかで、そこの時間の進み遅れぐあい
が異なって来るのです。
全く馬鹿げた事ですが、実は、全体はこうなっていたのです。
相対論で、よく使われる所の例は、この無数にある光の方向のほんの一方向を採ったに過ぎません。
次に多方向から来る光で考えてみましょう。
今までのは、単一光源での話でしたが、実際の場合、光源は沢山あります。
光は前からも後ろからも同時に来ます。そういう場合どうなるのでしょうか。
静止している時は、ともかく、動いている列車に乗っている場合、進行方向に対して前から来る光
を基準にして“光速度不変の原理”で考えれば時間は進み、後ろから来る光で考えれば時間は遅れる
事になります。
これは、全く、滅茶苦茶な話です
光が、どっちから来ようと、その瞬間のその場所の時間は同じでしょう。
こういう場合、《時間は遅れもしなければ進みもしない》と考えるのが妥当(だとう)です。
ここで、相対論に詳しい方は、「アインシュタインは『時間が遅れる』とは言ったが、『進む』とは
言っていない、だから、お前の理屈は成り立たない」とおっしゃるかも知れません。
ところが、式を調べていくと、この矛盾が出てくるのです。
それは、おいおい、紹介していきます。
その前に、簡単な所から当たっていきましょう。
まず、この馬鹿げた結果になった原因からです。
なぜ、そうなったのか?
それは、アインシュタインが《光の速度は絶対だ》としたからです。
《動いている系から見ても、静止している系から見ても光速は同じ》
としてしまったから、こういう矛盾が生じてしまったのです。
問題はそこにあります。
次は、それについてです。
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